小学校の時、「守護霊さん」に失敗したことがある。
「守護霊さん」とは、こっくりさんの変形版。
紙に50音とYES・NOのほか、食事・お酒・プレゼントという
おもてなしの為の絵も書き添える。
10円玉ではなく、削ったばかりの新しい鉛筆を、2人で掴んで
「守護霊さん」を呼ぶと言う形だった。
大抵最初は誰かの守護霊かとか名前を聞いていた。
何度もやるとこの前と同じ人だななんて思うこともあった。
鉛筆なので守護霊さんが自分の似顔絵を描いたり、
おもてなしのお酒を飲んでもらうと酔っ払って紙の上を
くるくるまわったり、食事の味噌汁の具が少ないと文句を言ったり、
周りが騒がしいと「うるさい」と書かれたりするのを、
私たちはただ面白がっていた。
ある日、私の家で友人2人と守護霊さんをすることにした。
家族が留守だったからゆっくりやれると思った。
友人二人が鉛筆をもって、私は横から覗き込んでいた。
294 :本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2010-07-01 23:23:50 ID:P6/xCY7ZP
ところが、守護霊さんが来ている最中に家族が帰宅してしまった。
うるさいと守護霊さんに言われ、私は友人達のいる部屋を閉ざして、
父母に「友達遊びに来て寝ちゃったから、静かにして」と頼んだ。
怪しんだ姉が「何してんの?」と聞くので、
私は「姉なら本当のことを話しても大丈夫かな」と、事実を言ってしまった。
しかし姉はその瞬間顔色を変えて、父母に大声で報告した。
「こいつこっくりさんやってるって!」
その瞬間、父が友人達のいる部屋へ怒鳴り込んだ。
慌てて止めようとしたが、私は襟を掴みあげられて怒鳴られた。
何を言われたのか覚えていないが、私はひたすら父が怖かった。
横目で見ると、動きを止めていたらしい鉛筆がひとりでに動き出し、
出口へとたどり着いて止まった。
友人達は、「守護霊さん」の後始末として、鉛筆を折り、紙を丸めて棄てた。
その後のことは、ひたすら父の怒りが怖かったことしか覚えていない。
翌日、友人達に責められた。
「ちゃんとおもてなしを終えないうちに守護霊さんが帰ってしまった」
「もう守護してくれないかもしれない、祟られるかもしれない」
当時の私には祟られるより友人を失うことの方が怖かった。
私は平謝りするしかなかった。しばらく絶交状態が続いたと思う。
しかし、誰にも霊障らしき出来事は起きなかった。
結局、人数の少ない、幼稚園から中学校までほぼ持ち上がりの
同級生同士で、絶交状態が長続きすることもなかった。
私が未だに怖いのは、父が怒り狂っていたことだ。
こっくりさんを迷信だと思っていたらあんなに怒ることじゃない。
父は多分、こっくりさんを「危険なこと」だと思っているんだ。
子供の頃よりも不信心になった私には、父の信心深さが恐ろしい。